カ〇ラは麻薬??
私の叔父は、カ〇ラ歴数十年のベテランだ。叔父の本物の頭髪を見たのはいつのことだろう?叔父の髪の毛についての印象は薄い。
そんな叔父なので歴代のカ〇ラコレクションがあるはずだが、見たことはもちろんない
幼いころかわいげのない子供の代表選手だった私は、叔父に会うたびに
「ア〇ランス~🎶」とうたっては、温和な叔母にやさしく「そんな歌を歌ってはダメ。」と、諭されていた。
そんな思い出話を先日、娘婿としていた。
カ〇ラの方には本当に失礼な話だが、いったん装着するとなかなかカミングアウトは難しいのではないか?
会社の忘年会の余興で脱いで見せるとか、社員旅行でうかつにも見られる機会がないかぎり。神妙な面持ちで他人に伝える話でもないし。(ご本人は真剣だが。)
実際、叔父のカ〇ラ、頭髪への執念はすさまじく、横で見ていてもかなり涙ぐましい。
例えば、叔父のうちに遊びに行く。ピンポンを鳴らしてから玄関に出てくるまでの時間は半端なく長い。夏なんて玄関先で熱中症になりかける。きっとカ〇ラを装着しているに違いないと、それでも身内の私たちは心静かに待っているが、退職していつもうちにいるはずなのに、あまりに待たされるので必ず不在票が入っているらしい。
叔父に孫が生まれたとき、叔父が「孫がね、おれが風呂に入れると必ず泣くんだよねなんでだろ?。」と不思議そうに言っていたが泣く理由はわかる気がする。
多分孫から見たら、普段髪があるおじいちゃんと、カ〇ラを外しお風呂に入るおじいちゃんは別人に見えるのだろう。(私も大人になったのでさすがに黙っているが。)
私が思うにカ〇ラは麻薬だ。
やめたいけどやめられない。一度手を染めると抜けられない。メンテナンスやなんやらでお金がかかるし、やめると別人に見える。
決してカ〇ラの方々を馬鹿にしているのでなく、叔父を見ていてさぞかし煩わしいだろうなと思う。(これも余計なお世話だとは思うが。)
私は「ハ〇の何が悪い!!セクシーでいいじゃないか。」と声を大にして言いたいが
必死にカ〇ラであることを隠している叔父に今更言えない。
結局、婿とは「もしハ〇になっても装着しないのが一番いい。」という結論に達した。
婿とはそんな結論に達したが、私の夫は謎の粉を必死でふりかけている。
「気にしなくていいのに。」夫には声を大にして一応伝えている。(笑)
母と2B弾
私の母は今年88歳。若いころは、回遊魚??というくらい一日中うちの中をうろうろしていた。そんな母だから、けがは当たり前。そこで今でも我が家伝説の母のけがのエピソードをひとつ。
あれは忘れもしない、まだ私が小学一年生だったころ。
文房具屋を営む父の友人が、「おひなさまだから。」といって我が家にひなあられと
なぜか2B弾をもって遊びに来てくれた。私はひなあられを食べテーブルの下にこぼしていた。(のであろう?)もちろん2B弾も一緒に。
せかせかした性格の母は、父の友人が帰られた後すぐ、「あーもう、ちらかして、(怒)」と言いながら、テーブルの下を片付け始めた。
その瞬間だった。〝バン!!〟と大きな音がした。
父も私も最初何の音だかわからずにいたが、母のほうを振り返ってみると母の口から煙が出ている。空也の口から念仏が出てくるのあの写真のように(皆さん一度は教科書でみたことありますよね??)
事態を察した私と父は目を合わせ、母には大変申し訳ないが吹き出してしまった。
吹き出した私たちに「どうしよう。」と母は泣きそうになりながら言った。とにかく病院へと促したが母はさすがに恥ずかしかったのだろう。
父の袖を握り必死に首を振る。仕方なく近所の薬局へ家族みんなで走った。
薬局へ行き父が「あのー、口の中をやけどしました。なにか薬はありますか?」と言った。
お店の人は「やけどですか?お茶かなにかで?」
「いやそれが、爆弾が破裂して。」と父。
「ば、爆弾ですか?!!」と仰天する店員さん。
「はい。えーと爆弾というか、2B弾です。」
「2B弾??それはまたなんで??」と二人の会話はだらだら続き、いつまでも薬は出てこない。
そんな二人にいらいらしだした母は、いきなり店員さんに口を開けて指をさして見せた。鬼の形相の母の様子に恐れをなしたのか?店員さんはすぐに薬をだしてくれた。
自宅で薬を塗る姿を見たとき、母の口の中は真っ黒になっていた。
私のこぼしたひなあられとそれに混じった2B弾を間違って口にいれて嚙んだようだ。
その夜母は、あまりの痛みで眠れなかったそうだ。
次の日、近くの病院にいきしばらく通院していた。どのくらいの期間かはっきり覚えていないが、完治にはしばらくかかった。初診の日、病院の先生の必死に笑いをこらえる姿が母はひどく恥ずかしかった、と言っていた。
後日、「あの時は舌が飛んだと思ったよ。」と笑って話す母に
「拾い食いなんかするからだ。」と父が怒っていたのを覚えている。
そんな母も今はガンになり、回遊魚ではなくなった。
元気な時はハラハラさせられていたけれど、今、一日中自宅のベットで静かに眠る母をみているとあの日々が懐かく思い出される。